工房木馬

私にとって家具業界のスタートはもちろん工房木馬です。
その時の事を思い出しながら記載します。

入社のOKを頂き、そのまま平井さんから、工場を案内してもらいました。
私は、着替えて来て良いですか?を確認と取って、当日から作業を始めました。

もちろん木工経験はゼロです。
当時私の先生をしてくれたのが、今の商品管理の大城係長でした。

工場に居たのが、中島統括、末松さん、大城君、花田君、古賀君、カールさん、
だけだったと思います。+平井さん、多田さんと言う規模でした。
当時は私入れて、10名規模の会社だった事を覚えています。

私は、一枚板を見た時に、売れないと思います。
正確に言えば、今の私では売れないと言う事です。
その為私は。工場にて勤務をさせて頂く事になりました。

初めての工場勤務

まぁセンスゼロだった事を覚えています。
削っては、段差が出来、削ってはバーチカル痕・・・と言う壁にぶち当たっていました。
当時若手3人は、10代だったと思います。
凄く関心しました。良くやるなと思っていました。

カールさんも、当時は分かりませんでしたが、技術、センス抜群だっと思います。
中島統括は今と変わらず、いつも私を気にかけていてくれました。
末松さんは寡黙な職人さんと言った印象でした。

こうして月曜から金曜まで製造をして、週末だけ営業をするスタイルを始めました。

月曜日・・・梱包
火曜日・・・作業と梱包
水曜日・・・休み
木曜日・・・作業
金曜日・・・作業
土曜日・・・営業
日曜日・・・営業

当時は売り場は、8号館の裏に板を30枚程度並べていたと思います。
そこで小売りもしていました。
勉強会とか、指導と呼べるモノはありませんでした。笑
今では感謝しておりますが、なんじゃあの人??と思ってました。笑

今でも、はっきり覚えています。
一番最初、売場に立った時平井さんは出張でした。
もちろん何も教えてもらう、みたいな行為は皆無です。笑
平置きする事すら知りませんでした。1人だったので。

私はとにかく一生懸命やろうと思い。
アタック率100%を目指した事を覚えております。

結果・・・何と1日で7枚売れました。
当時は、数をそんなに売っていなかったので凄く会社から褒めて頂きました。
未だに1日7枚売った経験はありません。
あれは何だったのだろう??と今でも思います。

これこそ”神懸”だ思いました。
何もしてません。何もテクニックも何もありません。
もちろんブランディングなんてモノもありませんでした。
クラッシッ目当てのお客様に、一枚板をオススメしていました。

あぁーこれは・・・この業界・・・一枚板をやりなさいと言うお告げとさえ思いました。笑
月曜日の朝礼で、工場のみんなから感謝された事が一番嬉しい思い出です。
これだけの為に、頑張っていたと言っても過言ではありません。

朝礼での思い出

当時少人数だった為、朝礼は全員でやっていました。
月曜日の朝礼は、私にとって勝負でもありました。

売れなかった時、みんなになんて報告しようとばかり考えてました。
営業と呼べる人間は私だけでした。営業失格だとさえ思いました。
私が売らないと、売る人がいないのだから・・・
みんなは、私が売れたと言う報告を心待ちにしてくれていたと思います。

もちろん、売れ無かったからと言って、嫌な顔された事はありません。
逆に、良いよ良いよ、疲れたね。お疲れ様。と声を貰っていました。
若い子達は、売る私に対して、色々聞いてくれるようにもなりました。

製造直売・・・この責任は重い事を最初に学んだ気がします。
製造をしていなかったら、品群を変えれば良いです。
売るモノを変えればいいです。売れない理由も作る事が出来ます。
流行りものに飛びつき、”バイング”と言う商法で戦えます。

木馬は工場があります。製造をやっています。雇用をしています。
これが強みでもあり、時には重荷になる事が重々あります。
製造までやっていると、販売商品を変更するのに1年かかると思います。
チャレンジする事も困難です。

仕入れ商売と違って、戻れません。
やり直し出来ません。

これが製造直売を遂行する、我々の使命だと思います。
一枚板販売に飽きたら・・・申し訳ないけど木馬を去って頂く他ないと思います。
もちろん一枚板を活用してプラスαは狙えます。
しかし製造に貢献しようと思うと、木馬で作成した製品を販売する義務があります。
長期的な目標を立てて、一枚板以外の商品を作成する事も必要です。

そんな使命感に燃えながら、日々過ごしておりました。
毎日平井さんと飲みに行っていた事を覚えています。
はっきり覚えているのは、
平井さんは、本気で社員の給料の事を考えている事を理解しました。

そして年長者には珍しく、過去の話は一切されない事も印象的でした。
自分を大きく見せようとする事は、一切されません。
そこに、凄く感銘を受けた事を覚えています。

だいたい人は、信頼を得る為に昔話をする者です。過大に。笑
しかし平井さんには、それが一切ありませんでした。

そして頭が、算数脳だと言う事も印象的でした。
常に数字で、物事を考える平井さんをカッコ良く思いました。
よっしゃ。この人が言う事を100%信じてみようと決心しました。

初の大阪出張

そんな中、大阪伊勢丹様へ販売応援に行かせてもらう事になりました。
初の出張です。聞いたのは前日の夕方でした。いや夜でした。笑

私はお風呂も終え、TVを見ていると、電話がなりました。
平井さんから、明日から大阪行ってくれないか?と言われました。
その1時間前まで一緒に飲んでました。笑
何があったの1時間の間に・・・平井さん・・・笑
でした。笑

しかし、まったく迷いも何もありませんでした。野心の塊の私はすぐにOKと言いました。
その足でキャリーケース、スーツのシャツ、出張に必要なモノを買いに行きました。
当時は大阪伊勢丹様で、販売をすれば必ず売れると思ってました。

何より、大阪出張、伊勢丹様での販売が凄くカッコ良く思えました。
バカで良かったと思います。笑
翌日から大阪へ出張へ行きました。もちろん気合十分で行きました。

この経験が、本当に大きいと思います。
簡単に言うと大苦戦でした・・・まったく売れませんでした。
当初2泊3日の予定でしたが、延長延長で2週間近くいたことをおぼえています。

社員旅行があると言う理由で、帰社した事を覚えています。
来る日も来る日も、接客をしても売れませんでした。

当時は、雑貨コーナーに一枚板を3枚並べていました。
今考えれば、無茶だと分かります。当時は誰も分かりませんでした。
この伊勢丹様との、きっかけを作ってくれた人が「宮本太郎」さんです。

その為、今でも何かあれば相談する、良き理解者とし交流があります。
弱い時の自分を知っている人が、相談しやすいかもですね。

毎日売れずに、夜ホテルでネット検索をしていたことを覚えてます。

①小売りとは
②営業とは
③押し売りのコツ
④大阪人
⑤富裕層
⑥値引きの方法
⑦お客とは
⑧プロとは??
⑨家具販売
⑩テーブル販売
⑪木材関係

などなどなど

本当に、ありとあらゆる単語で検索していました。
そして、ノートにひたすらメモを取っていたことを覚えています。

そして日々、実践しました。
ある時は、朝ビールを飲んで接客した事もあります。
そんな記事があったので・・・笑
絶対やってはいけない事をやるぐらい追い込まれていました。笑

連日平井さんから厳しいお言葉の電話がありました。
うそやろ??そんな俺だめなんやろか?センスないんやろか?と思いました。

大阪での成約1枚

そして忘れもしません。最終日・・・なんと・・・1枚売れました。
どうやったのか??はここでは書けません。笑
色々な人に伝えましたが、知りたい人は個別に聞いてください。
ここで記載すると、問題になるかと思いますので。

難しいですね。本当に伝えたい事は書けないですね。笑
書いたら問題なりそうなので辞めます。

そんな事をやって売れました。笑

そしてそのまま、社員旅行に行った事を覚えています。
大阪では、本当に色々な事を教えてもらいました。
一応同期??の中浜支店長とも初めて会いました。
色々身の回りのことをお世話してくれました。

当時は、中浜支店長一人でした。
事務所と呼べるモノもありませんでした。
私は、中浜さんを、関家具の社員だとさえも思いませんでしたから。笑

春田本部長とも、大阪で初めて会いました。
たまたま大阪に、出張に来られたあったのだと思います。
それぐらい、入社して間もない事だったと思います。
悩む私を、春田本部長と田中雄也さんがカラオケに連れて行ってくれた事を覚えています。

今考えると、私が会社で特に好きな人は、初の出張の時に決まってたような気がします。
これこそ出会いかと思いますね。本当に皆様に感謝しております。

そして帰社をするまもなく、そのまま旅行へと合流しました。
社員旅行では、爪痕残そうと、色々やりました。笑
これは、何も個人ではなく、木馬として爪痕を残す必要がありました。
当時は関家具内でも木馬??みたいな人が多かったのです。
多分「また社長が何か始められたらしーよ・・・」程度だったと思います。

その為、飲みニュケーションだろうと、何だろうと負ける訳には行かなかったのです。
歌ったり、踊ったり、チンコ出したり、色々やった事を覚えています。
平井さんも来ていなかったので、木馬営業として何としても覚えてもらおうと必死でした。

今でも、あの時の事を話してくれる人がいるので良かったと思ってます。
社員旅行は、後にも先にもこの1回だけです。
それ以降の年は、それ以上やるべき事があったのだと胸を張って言えます。

そこから先は春田本部長に本当にお世話になりました。
その後、新卒の子、移動で応援に来てくれたスタッフ含めて。
やっと会社と言える規模になったと思います。

今日は、ここまでにします。
当時の写真がありましたので貼り付けしておきます。

やっとここまで来ました。
ここから先は、また別の日に書きます。
あまり長くなると、読む気も失せると思いますので・・・笑

次回は小売りを始めるまで・・・を記載したいと思います。

当時を振り返ってみると、当たり前になった事がたくさんある事に気づきました。

①梱包してくれる人がいる
②事務作業してくれる人がいる
③カタログがある
④工場が大きくなり、在庫がたくさんある
⑤お店がたくさんある
⑥平置き出来る仲間がいる
⑦必ず30枚以上の枚数で小売りが出来る
⑧ホームページがある
⑨原木の在庫がある
⑩会社内で発言出来る機会がある
⑪加工依頼書がある
⑫休日がある
⑬IDEAがある
⑭ノートパソコンがある
⑮アイパッドがある
⑯オリジナルチェアーがある
⑰採用を募集したら来てくれる人がいる
⑱上司がいる
⑲ノウハウがあるので、学ぶ事が出来る
⑳小売りを教えてくれる人がいる
㉑名刺がある
㉒ロゴがある
㉓百貨店様に常設の売上がある
㉔ラインが活用できるので、コミュニケーションが円滑に行く
㉕出荷してくれる人がいる
㉖在庫の写真が見れる
㉗在庫がリアルタイムで閲覧できる
㉘木馬のブランドがあれば協力してくれる社外の人がいる
㉙外注先がある
㉚高周波がある

きりないですね。笑
当たり前だと思ってる事に感謝する事も大切だと思います。
定期的に思い出して、感謝の対象を増やす事をオススメします。

ないモノねだりする人は、感謝の心を忘れている人です。
今あるモノを思い出しましょう。