製造から小売へ・・・

仕事の割合は、製造から完全に営業になりました。
もちろん平日卸営業をして、土、日は催事の応援販売。

応援要請が無ければ、大川のお店で小売りをしていました。
当時の一枚板の展示場は、8号館の一番後ろのフロアーでした。

今みたいに、木馬専用の展示場があった訳ではありません。
※当時の売り場の画像を添付します。

当時の売り場。

今と雰囲気が大きく違います。
今となっては良く感じます。笑
人間無い物ねだりですね。笑

私は当時この雰囲気が嫌でした。
何か高級感が足りないと思ってました・・

何か当たり前だと・・・
高級感をとことん追求したいと・・・

良い雰囲気です。
しかし当たり前なんです。

何か「普通」だと思ってました。
但し、売りやすかったことは間違いないと思います。

この現場で一日/7枚販売した事もあります。

これは一つ前の記事に記載しております。

プライベート 「スタート」

営業としてのプライド。

営業とは、
①今存在する売上を20%伸ばす事。
②今までに、存在しない無い売上を作る事。

以上の2点が宿題だと思います。
それを遂行できない場合は、営業とは言えないと思っています。
少し誤解を生む発言ですね。笑

第一回目の展示会の時です。
最初から、もちろんお仕事を頂く事は、できました。

しかし全て平井顧問から頂いたお仕事でした。
私は、営業と言うより、オペレーターと化していました。
こんなんでは、営業とは言えないと悔しい思いがしました。
このままでは①も②も成し遂げれないのでは・・・と。

そこで私が取った行動は明確でした。
まずは①を達成する為に、既存の売上を間違いないモノにする事。
そうしないと+20%が狙えない。
また人も少なかったので、遠回りする事も出来ません。
どんな手段でも、遂行する義務がありました。

平井顧問には、日々家具店様から電話がかかっていました。
私はそうか。と思いました。
「平井に電話をしてくるお客様は、弊社の商品が必要なお客様だ」と。
その方達と親交を深めた方が早いと思いました。
①も出来ない人間が、②を出来る訳も無いと思っていました。

要は平井顧問をヒマにすれば、平井顧問は次の仕事が出来る。
それが、会社が成長する近道だと確信しました。

話は横道に反れますが、出世の近道も一緒です。笑
上司を出世させる事が、一番の近道です。
その出世をした上司に引っ張ってもらう。
これ以上に簡単な出世方法は無いです。原理原則です。笑

そしてその方法は会社のメリットも大きいです。
何ら問題無い三方良しの方法です。

その為、私は平井が電話に出る度に。

「平井さん・・・どこから電話ですか?」
「何県の家具屋さんから電話ですか?」
「そこの社長様の名前なんですか?」
「どなたに決済権ありますか?」

としつこく聞いてました。

そして、平井さんが答える内容を全て記録に残しました。
2回目の展示会では、ポケットに”近藤秘策メモ”を入れてました。
そして、入り口で待機しました。
うーん待機と言うよりも、待ち伏せですね。笑
目は血走っていたと思います。

平井顧問への電話の回数が多いお客様が来店されると・・・
一直線です。「担当です。今後は私に電話ください。頑張ります。」
この作業を永遠続けました。頭悪いですね・・・笑

結果、平井顧問への電話の8割は、私へ電話してもらえるようになったと思います。
忘れたらいけない事があります。それは成功した一番大切な要因です。
この作戦が成功した一番大切な要因は、平井顧問の懐の深さだと思います。
どんなに、シャシャリ出ても、顔を立ててくれました。有難いです。

普通は、自分のお客様を奪う行為を許してもらえるのは難しいと思います。
平井顧問には出る杭を打つ。と言う発想は皆無でした。初めて会った人です。
また毎日2人で酒を飲んだ信頼関係のお陰だと思います。

あの飲ミュニケーションの日々が無かったら、成功していなかったと思います。
お客様との信頼関係を構築出来た私は、
売って、展示、応販、売って、展示、応販を繰り返していました。

卸業だけでの限界

それでも、限界を感じたのは早い時期でした。
先に記載した通り、数少ない商品数で売上を上げる為には単価を上げる必要がありました。
しかし単価は下がる一方でした。
頑張り不足でした。営業力不足です。

ブビンガは全て玉杢でした。これが普通だと思っていました。
当時はゼブラウッドも、全面に縞模様が入っていました。
しかも原価が安かったので、安く販売していました。

もし時間を戻せるなら3割増しで勝負するべきでした。
そぐらい”価値”を誤っていたと反省しております。

価値が分かっていない営業が営業をすると本当に良い事ありません。
家具店様にも、私の価値判断基準で営業をしました。

もっと家具店様の単価を上げる事も出来たと思います。
また他社様の存在・・・これを無視して進めれないのも現実です。
マーケットを無視する事は出来ません。

しかし私は、無いマーケットを作ろうとしていた事も事実です。
無垢一枚板でお客様単価50万のマーケット。
これは今までに、あったか無いか分からないぐらい小さなマーケットだと思います。

反省はしても、落ち込むな、これは仏教の教えです。笑
落ち込む事は致しません。しかし当時を振り返り反省するべきは多々あったと思います。

展示会も今みたいに産業会館があった訳ではありません。
倉庫があった訳でもありません。
土場があった訳でもありませんでした。

その為、お客様に一枚板を販売する→既存の営業スタイルでは無く、
一枚板の可能性に気づいて頂く営業スタイルが必要でした。
これはモノ売りと違いと、コト売りの違いに近いと思います。

早い段階で、この営業スタイルを訓練出来た事は、大きな財産となりました。
結果、一枚板の可能性に気づいてくれるお客様も増えました。
毎週、日本のどこかで催事を行えるようになりました。

楽しかったです。
ただ私が楽しんでいたのは、卸業なのか?小売業なのか?
分からなくなってきました。

展示をして頂いて、自ら販売するスタイルです。
これは卸業なのでしょうか??
場所をお借りする。そこで出た利益を折半する流れです。

もちろん勉強会なども実施しました。
しかし瞬間的に販売出来ても、継続して販売して頂く事は大変難しいです。
なぜなら、その販売員様のお店には、他の商品がたくさんあります。

一枚板の販売は体力も気力も必要とします。
その為、好き好んで一枚板を売り続けるのは限界があったのでしょう。

瞬間的に売れても、翌月にはゼロになってる事も少なくなかったです。
要は、”完売目的”なのか?”販売し続ける”が目的なのか?です。
私は、販売し続ける事が一番の目的でした。

そこを納得頂く為には、お客様のリスクを減らす必要があります。
ここで言うリスクを減らす手段は、委託・値引・応販です。
もちろん上記3項目を、飲む事はお客様のリスクを減らす事に繋がります。
しかし、逆に言えば、全てこちらがリスクを背負う事になります。

私は迷いに迷ってしまいました。
どうやったら対等な関係を構築する事が出来るのか??

下記当時の展示風景の一部です。
※携帯に残っていたモノだけとなります。

滋賀県+CASA様

広島県リビングハウス様

埼玉県中山家具様

大阪展示会

40%60%の関係性。

よくお客様とは”50対50”が理想だと言います。
しかしこれは不可能です。あり得ません。きれいごとです。
私は”40対60”が理想だと思っています。

お客様と、対等な訳がありません。
お客様と、対等になってはいけません。
ただ、言いなりになってはいけない言う事です。

それであれば理想は”40対60”です。
卸業をやって、徐々にこの関係性を構築する事が困難になって来ました。

やり出した頃は、”40対60”のスタイルで購入頂いてました。
しかし私には、”40対60”を継続して頂ける実力が無かったです。
またやればやる程、敵も増えて来ます。

その為、購入の条件が、値引き・委託・応販がマストとなって来ました。
そして、それを断れない状況となりました。
なぜなら家具小売り店様以外に、他に販売する手段がなかったからです。
家具小売店様に販売して頂かないと、自社で作った商品を販売する手段が無かったのです。

これはマズイと思いました。
もちろん自分の営業力の無さもあります。
そして、品群が一枚板一つだけ与えられた宿命でもありました。

営業の基本として、お客様に合った商品をご提案する。
これはカギです。
しかし、品群が一つしかありませんので、それは出来ません。

その為、一枚板を全ての小売店様に営業していました。
そして武器が少ない私と、お客様の関係性は大きく変化しました。

当時は”30対70”ぐらいまで悪い時はあったと思います。
そして、単価も上げる事も出来ずに最悪の状況でした。

このままでは、製造の社員に、給料として還元できる事も出来ないのでは?と思いました。
製造にとって、単価は命取りです。
月商1億の製造会社であれば、単価1億が理想です。

毎月1億の商品を一つ作り続けた方が良いです。
商品数が増えると、効率も悪くなります。また品質も大幅にロスします。

どうしたら、お客様と対等になれるのか??

小売りへの挑戦

下記内容が小売りを始めたきっかけです。

①お客様(家具小売店様)と対等なお付き合いをする為。
②商品の単価を上げる為。
③製造を守る為、違う販売チャンネルを獲得する為。
④お客様(家具小売店)様の悩みを理解する為。

です。

もちろんそれ以外にも、欲も多少はありました。笑
直売した方が、利益が出るのでは無いかと言う。笑

しかし①~④が小売り挑戦へのきっかけなのは間違いないです。
卸業を極めたいと思う気持ちが、小売りへの挑戦のきっかけでした。
オカシイ話だと自分でも思います。

しかしこれがホンネです。
それ以外にも良い人材に恵まれたり、生産量の拡大による、売上確保。
などなど現実的な、きっかけも多々ありました。

あと良い物件との出会いもありました。
一番古いのが天神ギャラリーです。
こちらも画像を添付します。

工房木馬からアトリエ木馬へ返信した瞬間です。
天神ギャラリーの誕生です。

しかしロゴは今のモノと違います。
当時は、馬の蹄がモチーフでした。

凄く懐かしいロゴです。

今では、小売りへの進出は、木馬にとって本当に良かったと思っています。
小売りのノウハウを勉強する事で、新しい出会いもありました。

そして、家具店様とは更に友好なお付き合いが出来るようになりました。
もちろん離れてしまったお客様も多々おります。

しかし小売りをする事で業界の事を知る事、語れる事が出来るようになりました。
8年たって、本当の”コト売り”の意味を理解したと思っています。

更に木馬を、一枚板を、大切にしてくださるお客様とも出会いました。
更に勉強をして、日本中のお客様(小売・卸)に喜んで頂ける会社にします。
必ず業界を、社員を、潤す人材になる事を誓います。

今日はここまでにします。

知っている人も多いと思いますが、、大手小売り店様との決裂も大きな要因の一つです。
これは書けませんので、興味ある方は直接話します。
一枚板販売を任せられない!!こう思ったのも事実です。

次回は、関東進出です。